震災後、僕は覚悟を決めて妻と結婚しました。
妻は超美人でスタイルもいいし背も170cmあります。
僕の身長は172cmなので、ヒールの高い靴を磨くと僕よりも背が高くなります。
妻の名前は仮名で『愛子』にします。
タレントの皆藤愛子さんに似ているとよく言われるからです。
そんな美人と結婚するのに、一体何の覚悟がいるのかと思われることでしょう。
まず年齢です。
僕は25歳で、愛子は33歳、僕より8歳お姉さんなんです。
でも見た目は僕とあまり変わらないくらい若く見えます。
もうひとつは2人の関係です。
愛子は僕の父の姉の娘、つまり従姉なんです。
日本ではギリギリ結婚が許されていますが、近親相姦になる国もありますから、双方の両親に大反対されました。
でも僕たちはそれを押し切って結婚しました。
僕は女性経験が3人なんですが、愛子は僕しか知らないんです。
普通、年齢的に考えたら逆ですよね。
僕の初体験の相手が愛子なんです。
それは10年前のことでした。
僕が中3の夏休み、祖父の具合が急変して両親が本家に泊り込んだとき、23歳の従姉の愛子が僕の家に泊まってご飯を作ってくれたんです。
愛子「一緒にお風呂に入ろう」
そう言われて、10年ぶりに愛子と風呂に入ったのが間違いでした。
愛子「お姉ちゃんが洗ってあげる」
ペニスを弄られるとドキドキしながら勃起してしまい、「わー、凄い凄い」と愛子に凝視されました。
そしてその夜、「セックスしてみない?」と言われて、「愛子姉ちゃんに任せるよ」と言ったら愛子が裸になりました。
僕「愛子姉ちゃんのアソコ、見せて」
生まれて初めて女性のアソコを見ました。
弄っているうちに濡れてきました。
愛子「お姉ちゃんの恥ずかしいところを舐めて」
舐めました。
初めてのクンニです。
愛子は、「はーん」と色っぽい声をあげていました。
その後、僕は仰向けになって愛子にフェラされて、「あっ、ああっ」と女の子みたいに喘いだのを覚えています。
そして騎乗位で童貞を奪われました。
そのときの出血を愛子は、「生理が来ちゃった」と言っていましたが、実は処女だったと聞かされたのが今年の3月でした。
姉は23歳で処女というのがプレッシャーで、従弟の僕が初体験の相手に選ばれたのでした。
童貞だった僕には処女膜が破れる感覚なんてわかりませんから愛子の言うことを信じていたんです。
夏休み中に3、4回身体を重ねたらもう止められなくなって、英文科卒の愛子に受験勉強を教わると言って、僕は週末になると愛子のアパートに行ってセックスをしていました。
本当に勉強も教わっていました。
僕は理数系は得意でしたが、文系、特に英語は苦手でした。
僕は高校に合格したその日に、「愛子姉ちゃんが大好きだ。付き合って下さい」と気持ちを伝えました。
「もう付き合ってるでしょ。お姉ちゃんも和晃ちゃんが好きよ」
僕が高校を卒業するまでセックスしまくりました。
今思えば、処女と童貞が覚えたての快楽に病み付きになっていたんです。
最初は反応の薄かった愛子も、体がセックスに馴染んでくると、「アーン、アンアン」といい声で喘ぐようになりました。
また僕は、よく愛子にペニスを悪戯されていました。
髪の毛を縛るゴムでタマを一つずつ縛られ、さらに根本を縛られると、イキたくてもイケなくなるんです。
「愛子姉ちゃん、僕イキたいよ。イカせてよ」
そんな僕の様子を愛子は喜んで見ていました。
愛子は自分が十分満足すると僕のペニスのゴムを解いて手コキしてくれました。
すると、それまで我慢していた精液が堰を切って飛び散るのです。
「うわー!和晃ちゃん、いーっぱい出たね」
いつも愛子は大喜びでした。
愛子のアソコもよく舐めさせられました。
アソコにバターを塗って舐めさせられて、「バター犬の感覚ってこんなのかなあ」などと言っていました。
高校を卒業して僕は東京の大学に進学したので、愛子とはお別れになりました。
「愛子姉ちゃんは美人だから、いい人がいたら結婚してもいいよ。僕、愛子姉ちゃんには幸せになって欲しいんだ」
これが最後だと思ってしたセックスのとき、泣きながら僕は言いました。
愛子も泣いていました。
その後、僕は東京の大学で2人の女性とお付き合いをしましたが、愛子ほどの美人ではありませんでした。
そして盆と正月に帰省するたびに愛子と身体を重ねていましたので、あれが最後のセックスにはなりませんでした。
だから大学を卒業して帰郷した2年前、まだ独身だった愛子と自然に関係が復活しました。
女性2名を経験して分かったことは、愛子とのセックスは快感の度合いがまるで違うということです。
血縁者だからでしょうか、カラダの相性が凄くいいんです。
本気で好きになり、結婚したい気持ちを伝えましたが、「従姉だし、年上だから結婚は出来ない」と言われてしまいました。
しかし震災が起きたとき、すぐに僕は愛子のアパートに駆けつけました。
着いたのは夕方の6時でした。
愛子は真っ暗な部屋の中で1人体育座りをしていました。
家具が倒れ、色んなものが散乱していました。
水道も出ません。
電気はすぐに復旧しましたが、水道はいつまでも出ませんでした。
震災は金曜日でしたから、翌2日は土日で休みでしたので、水を運んだりして、ずっと2人で過ごしました。
そのとき初めて愛子は僕に、処女喪失の真実と、その後は僕以外の男とは付き合っていないことを打ち明けました。
僕は迷わずその場でプロポーズして、今度こそ受けてもらいました。
両親に報告すると、「馬鹿なこと言うな!親戚中の笑いものだ!」と大反対されました。
そのまま僕は家を出て愛子の部屋へ転がり込みました。
愛子も伯母さんに反対されましたが、33歳の愛子は、「和晃ちゃんがダメなら一生独身でいる」と言って脅したそうです。
ついに親たちが折れ、許しが出て結婚しました。
そのまま愛子のアパートで暮らしています。
結婚式も披露宴も自粛しました。
結婚後のセックスは、ほぼ毎日です。
僕は大学時代に女性の扱いを学びましたから、愛子をイカせるためにペニスで徹底的に愛子のGスポットを責め抜きます。
愛子は綺麗な顔を歪めて大声をあげて喘ぎ、騎乗位では束ねた長い髪が解けるほど乱れます。
アパートの住人にも、その声は聞こえていると思うので、朝のゴミ出しとかで顔を合わせると恥ずかしいです。
現在、愛子の年齢も考えて子作り中です。
今までは安全日しかしていなかった中出しを毎日しています。
愛子が30代のうちに子供が2人欲しいです。
愛子は相変わらず僕のペニスを苛めて遊びたがりますが、「妊娠したらいくらでも弄っていいから」と言って、今は子作りを優先しています(笑)