いま、大学生でひとり暮らしをしています。
一週間に一度くらいの割合で母がアパートにやってきて、泊まっていきます。
慣れないひとり暮らしを手伝うのが母のやってくる名目ですが、もちろん目的はそれだけじゃありません。はじめては、高校入試の合格発表が終わった中3の春でした。
無事に希望校にも合格して、高校に入学するまでの春休みは、夜更かしばかりをして過ごしていました。
受験から解放されて高校に入るまでの短い期間は勉強なども忘れて、ただ自堕落に過ごそうと決めていたのです。
よく深夜番組を観ていました。その頃パート勤めをしていた母は、昼間に撮り貯めた昼ドラの録画を、家族が寝静まった夜中に観ることを楽しみにしていました。
そこにぼくが加わったのです。
自分の部屋はもらっていたし、その頃のぼくは家族と会話することも滅多にありませんでしたが、夜更かしをする晩だけは、ずっと母とおしゃべりをしていました。
正直、母は綺麗なひとでしたし、スタイルもとても良かったから、母とはいえ、ひとりの女性として見ることも多くて、よくお尻や開いた胸元を盗み見ていたものです。
はっきり言えば淡い思慕を持っていたのですが、さすがに母と肉体的な関係を持とうとまでは思っていませんでした。
ただ、一緒にいることが楽しかっただけです。
誰もいない居間の中で母と二人だけでいると、妙に嬉しい気持ちになり、毎晩夜遅くまで母とおしゃべりするのが楽しみでなりませんでした。
もちろん、母は昼間に録画していたビデオを観ていたのですが、興味もなかったくせにぼくも一緒になって眺めていました。
昼ドラはけっこうエッチな描写が多いと知識では知っていましたが、まさしくその通りで、夜中に母と二人で画面を眺めながら、激しい性行為のシーンなどが画面に映ると、どちらともなく気まずくなって空気も重くなりました。
気まずい雰囲気が嫌で、わざとらしく明るく振る舞っているうちに、母も気軽に女の子のことなどを話すようになり、そのうち体のことも話すようになりました。
好きな子はいるのかと聞かれ、キスくらいなら経験してるのと聞かれ、そのうち母の口からセックスという言葉が露骨に飛び出すようになってからは、互いを意識するようになっていたと思います。
4月に入ってから、いつものように家族が寝静まったあと母と昼ドラを眺めていたらお決まりのベッドシーンが始まりました。
とても激しい描写に声も出せずに食い入るように画面を見つめていたら、ぼくの隣りに座っていた母が不意に後ろからぼくを抱きすくめ、「教えてあげようか」と、耳元でささやきました。
声に冗談めいた感じはなく、ぼくは振り返ることもできずに母の腕に包まれながら、ひたすら画面だけを見つめていました。でも、もうぼくの目にドラマなどは映っていませんでした。
じっとしているだけのぼくに、「お父さんや妹には内緒だよ」と言われ、ぼくは母に促されるように座っていたソファに体を横たえました。
仰向けでいると、すぐに母の手が股間に伸びてきて、そして大事そうにぼくのペニスをさすりました。
まだ蛍光灯の灯りは点いていて、その明るさと恥ずかしさに目を閉じているだけしかできませんでした。
うちの中ではスウェットをはいていることが多かったので、母の手はいとも容易く股間に入ってきて、そしてパンツの中に手を入れるとぼくのペニスを握りました。
薄く目を開けて恐る恐る母の様子を確かてみると、母は嬉しそうに笑っていて、そして勃起したぼくのペニスをゆるゆると扱き続けていました。
「気持ちいい?」と訊ねられ、頷くだけしかできませんでした。
不意に母が立ち上がり、居間のドアを閉めると灯りを落としました。
そして戻ってくると、ぼくの横に膝をつき、また手でゆるゆると扱いたあと、そっと唇を被せてきました。
あっと思ったのも束の間、たちまちぼくは母の口の中で射精していました。
あまりに唐突に射精してしまったからか、母は驚いていましたが、すぐに顔をほころばせて悪戯っ子のように笑っていました。
ぼくはどんな顔をすればいいのかわからず、ただ戸惑っているだけでした。
「どうだった?」と聞かれて、素直に気持ちよかったと答えました。
もっとして欲しい?と問われたので、黙ったまま頷きました。
母の唇がまた被せられて、熱心にぼくのを舐めてくれました。
薄明かりの中でぷちゅぷちゅと響く濡れた音が、ひどくいやらしく耳に聞こえ、そして、その瞬間から、ぼくの中で母はなにをしてもかまわないひとになりました。
胸を触ろうとすると触らせてくれました。
肩口から袖を脱いで、直に触らせてもくれました。
その先ももっと欲しかったのですが、母が上手すぎてすぐに2回目の射精を迎えてしまい、その夜は時間も遅かったこともあって、それだけで終わりました。
シャワーを浴びてから寝るという母と一緒に入りたかったのですが、それは許してくれませんでした。
でも、翌日も同じ事をしてくれると約束してくれました。そして、約束通り母はしてくれ、それからというもの、ぼくと母の夜中の遊びが始まったのです。
母が下着まで脱いでしまうようになったのはすぐです。もちろん、ぼくも裸でした。
はじめて女性の性器をリアルに見た夜に、ぼくは初めての女性も経験しました。
すべて母がリードしてくれて、床の上に横になっていたぼくを跨いで、その夜、ぼくは母とひとつになりました。
でも、どうしたわけか母の性器で逝くことはできず、結局、最後は口でしてもらいました。
春休みが終わるまで、ぼくが母の性器で逝くことはありませんでした。
気持ちよくないわけではなく、ただ、すぐ2階に父や妹が寝ていると思うと、どうしても緊張して逝くことができなかったのです。
はじめて母の中で逝ったのは、高校に入学してから一週間ほど経った頃、母の運転でインターチェンジ近くにあるラブホテルに連れて行ってもらったときです。
その日は安全日ということで、ゴムも付けないで生のまま母の中に出しました。
不思議なことにその時だけ、母の性器から垂れ落ちる自分の精液を眺めていたら、なぜか後悔の気持ちが湧きました。
でも、母は嬉しそうにしているだけで、そんな母をみていたら次第に後悔の気持ちも消えていきました。
夜中にしていたときは、深い溜め息をはくだけで声を出すこともなかった母が、誰も咎めるものがいないホテルの中では存分に甘い声で泣いて、ぼくの耳を愉しませてくれました。
途中からは子供のように甘えだし、ぼくのペニスをひたすら欲しがって、ずっと手のひらに握ったまま離しませんでした。
感極まったようにずっと一緒にいてとせがまれ、それからは、機会を見つけては母とのセックスに明け暮れるようになりました。
ふたりともどうしても我慢できずに自宅にあるガレージの車の中で、夜が白むまでしたこともありました。
日曜の昼間に一緒に買い物に出掛け、デパートの身障者用トイレでしたこともあります。
とにかく母は僕を可愛がってくれて、そして大事にしてくれました。
母は今でもずっと奇麗なままで、ずっと魅力的なままです。
きっとのこの関係は、まだしばらくの間、続くでしょう。
この頃は、ぼくに抱かれながら激しく身悶えて泣きじゃくります。
後悔とか不安からじゃなく、気持ちよすぎて自然と涙が出てくるのだそうです。
ホテルでは、大きな声でいっちゃう、いっちゃう、と叫びながら体をブルブルと震わせます。
一度震え出すとなかなか止まらなくて、それからは乳首を軽く摘んだ程度でも逝ってしまうほど敏感になります。
びくびくと身体を跳ねさせて、自分でコントロールできなくなるみたいです。
とにかく、ぼくとするセックスが気持ちよすぎて、一週間と待てずに母はぼくのアパートへやってきます。
可愛がってもらいたい気持ちが強いからか、どんなお願いでも聞いてくれて、このあいだはお尻の穴を虐めて泣かせてしまいました。
でも、母は意地悪、意地悪と泣きじゃくっても、ぼくの体にしがみついて離れません。
とても可愛いと思います。
そして、この頃はとても大事な女性に思えるようになりました。
ずっと一緒にいたいと思えてならないのです。
父には恨みはないけれど、返すつもりはありません。
この頃は、父と妹がくっついてくれれば、母を独り占めできるようになるのにと不謹慎なことまで考えるようになりました。
おそらく無理でしょうけど。妹はまだ子供ですから。
昨日の朝に帰ったので、今度母がやってくるのは金曜の夜です。またぼくに見せつけるために可愛らしい下着を穿いてきて、そして、ぼくの言いなりになって思う存分愉しませてくれるでしょう。
こんなに素敵な女性が、他にいると思いますか?
相性だってばっちりで、母以外の女性をぼくに欲しがらせません。
あまり幸せなものだから、ちょっと自慢したくなりました。