私は35歳の男性で、母親は55歳です。
私はIT関連の仕事の関係で、日本で働いており、日本に来てから6年ほどになります。 (現在日本に居住しています)今回のゴールデンウィークの間、久しぶりに休暇をとって、家に戻り、休暇期間中の母親と毎日のようにやりまくりました。
朝から夜まで、寝ている時にも止まらずにセックスを繰り返しました。
昨日飛行機で日本に戻り、昨日空港バスに乗る直前まで突いていた母親のおまんこを思い出しながら、この文章を書いています。
話が唐突なので、まずは周辺の紹介からしなければと思います。
お母さんを先に紹介してみましょう。
お母さんは55歳。168Cmほどの背で、おばちゃんにしては大きい方です。体重は70Kgくらい?小太り程度でちょうどその辺のおばあちゃんになっていくスタイルと、昔はそれなり綺麗だったと言われますが、今はおばあちゃんになっていく顔をしています。
お母さんは元から色気のある性格で、私が幼かった時親父と離婚した後からは、私が覚えているだけでも10人以上の男性が変わりました。
それはまあ、必ずセックスが目的ではありませんでした。家計の問題一番大きかったですね。
でも、お母さんが、2003年から4年間のように住んでいた男が母親にお金を使い果たし、最もよくしてくれた男だったが、この男と別れた理由が人が老いて不能のEDだったからです。
この例で見て分かるように、お母さんはかなりのセックスすきだったし、当然お金持ちで自分の世話を見てくれる人ながらも、セックスもうまい人を探していたようです。
私は子供のときに他の人が母親の裸の上にまたがってお母さんのおまんこに突いているのを何度も見たことがあります。お母さんの真っ黒なおまんこに…
母は心臓病があり、その他にも体が色々と悪く、タバコも長く吸っているので、いつ倒れてもおかしくない状態です。
だから、お母さんには、常に世話をしてくれる人が必要でした。
その代わりに母親は家事や家計管理をよくしながら男を内助をよくする方だったでしょう。
しかし、お母さんはいつも男の運が悪く、会う人がだい貧乏で詐欺師が多かったです。
まだお母さんの人生に春は遠いようです。
次はお母さんと私の仲に関して説明します。
私は2男の末っ子で35歳で180Cmです。
私の口で言うのもなんですが、お母さんは私をとても愛しています。
私は大した事のない平凡な男ですが、お母さんはいつも私を周りの人々や友人たちに自慢したりしています。
どのお母さんもそうであるように、母が子を愛するのは当然ですが
私の母が私を愛している理由は、他の人々と少し異なります。
お母さんは私が幼かった時、わが子として愛してくれる機会があまりなかったです。
私が5歳の時に父と離婚した後、兄と私は母方の祖母に預けられ母親はスナックに出て水商売でやっと食っていけるに背いっぱいでした。
そのうえ小学校3年生以降は、兄と私は父の下に預けられ、高校卒業後は、私は就職を出て独立したので、お母さんと一緒に住んでいた日が極めて少ないといえるでしょう。
お母さんはこのように幼い頃兄と私をお母さんとして何もできなかった事を一生悲しがっています。
お母さんは子供の頃、私より兄のほうを可愛がっていました。兄さんは顔も可愛くスマートだったわりに、私はひどく痩せて、にきびだらけに性格も内向的でした。今はまあ、それなり男らしくましたが。
お母さんは私より兄を可愛がっていましたが、皮肉なことに兄は大人になった後、お母さんのお金の問題で完全に仲を壊してしまいました。今は兄とはほとんど連絡もせず過ごしています。
私は可能であればお母さんの側に立とうとしています。私までお母さんを見捨てたらお母さんは誰にも頼れなくなってしまうからです。
この事もお母さんが、今の私に申し訳ないと思う部分ですね。
可愛がってた子はお母さんに背を向け、可愛くない子が親孝行役をしますからね。
そして、私は母親からあまり教育費などを貰ったことはありませんが、自力で大学に行き勉強して海外就職で日本にいくことになりました。
この点を、母親は非常に誇りに思っています。
(私たちの家の家族、叔父やその兄らも含めて、それなりに成功したといえるのが私くらいしかありません。みんな貧乏で離婚も多く憂鬱な人生です。大学を出たのも、外国で働くの私が唯一です。)
このような様々な理由によって、お母さんはいまさらながらも私に対する愛が大きくなって、子供の頃お母さんの役割がちゃんとできずに申し訳い気持ちを今の私に向けてお母さんとして努力を尽くしています。
話が長くなりましたが、私と母が関係を持ち始めたのは3年ほど前からです。
私は日本にいる間、時々休暇をとって韓国に来ます。
その時は主にお母さん家で時間を過ごしました。
父さんにはあまり行っていません。
私はあまり外に出かけたりお酒を食べていない性格なので、休日に来てお母さんの家であれば、ほとんど家にいる方です。
お母さんといる時は、お母さんの足をもんであげたりおしゃべりをしたりします。
お母さんは年で膝が痛いので、私が足を揉んであげるのがとても好きなので、一緒にテレビを見たりすると、私の手は常に母親の足にいました。今考えてみれば一種のスキンシップです。
皆さんはどう思うか分りませんが、私はスキンシップに対してあまり抵抗感はなかったです。お母さんの足を揉んでいるうちにお尻も揉んだりしましたが、お母さんもあまり抵抗感がなかったようです。
お母さんは家にいると服も結構軽く着ていたし、暑い時期だったのでシャワーして胸を出してリビングにいることも普通でした。
パンツ一枚でソファに横になっている時は、私のお母さんの足をもんでいただりして。
時々私のチンポが大きくなるにもしたが、二人どちらもあまり恥じていません。
第チンポがお母さんの足にポツポツと当たりましたが、お母さんは平気に見えたんです。
とにかく足を揉むだけではなく、普通に母子間の状態でよく過ごしていました。
それとともに私は一度お母さんにはめてみたいという考えを自然に持つようになったのです。
もちろんそれはそう簡単にできることではありませんでした。
1年に2~3回の休暇を出して韓国に行くと、主に母と過ごした私たちですたが、大した事もことなく普通の母子で休暇を過ごしました。
3年前、お母さんに大きなでき事がありました。
その時お母さんと一緒に住んでいた男が事故で死んだのです。お母さんには非常に大きなショックでした。
私はお母さんが気になって、3ヶ月間休職をして韓国に来るようになりました。
上にも申し上げたように、お母さんが心臓病を持っているうえに、倒れがちなので、暮らしていた男が無惨に死んでしまったら、正気ではなかったようでほっとけなかったです。
お母さんと住んでいる三ヶ月お母さんが非常に大変でした。
お母さんは何もできずにご飯も食べず数日を横になっている場合も多く、お酒で酔っ払って来ては、一晩中泣泣くことも多かったです。
お兄はその人の葬儀にも来ないで、私が葬主をしました。
お母さんは非常に苦しい時間だったし、その時、お母さんに頼る人は私しかいなかったようです。
休職をしてお母さんと暮らしたしばらく後から、母さんが夜に怯えて一人で眠れなかったので私は母さんと一つの布団に入って寝るようになりました。
最初は少し離れて仲良くひそひそと話をしながらお母さんを癒してくれるほどだったが、徐々に時間が経つほど、母親とは距離が近づくなってきました。
一週間ぐらい過ぎては、お母さんに腕枕をしてくれたり、抱きしめて眠るようになりました。
お母さんは、私がそばにいて早く安定を取り戻すことができたようです。
その男が死んだことが真夏で、その後私は3ヶ月休職をしてお母さんと暮らしたのがずっと夏でしたので、我々は非常に軽い身なりで寝ている場合が多かったです。
次第にスキンシップも多くなり、やがて私は母の背後のお母さんを抱きしめて母親の胸を触って、乳首を持って遊ぶこともしました。
“あんたは子供かい?お母さんの乳がほしいのかい?”お母さんが笑うと、
“俺は子供の頃からおかんのちちを触る事もほとんどなかったじゃん。今でからでも少し触らせてよ。ばばぁになっちゃう前にさ。”と、笑いながら触りました。
私たちは、あまり拒否感がなかったのです。私たちは、寝る前にスキンシップをたくさんしたし、お母さんが血行が良くなくてよく揉んであげたりもました。
それとともに私のギンギンなチンポが母の体に頻繁に当たりましtが、それもそろそろ平気のようになりました。
お母さんと最初に関係を持った日を思い出します。
韓国に休職で戻って、一ヵ月半程度経ったある日でした。
私は自分の部屋で寝るときは、オナニーをよくしていて、母親からくさいから換気しろとよく言われましたので、お母さんと寝るようになってからはオナニーを長く我慢していました。
ところがその日、あまりにもチンポが収まらなかったです。夜に食事をして自分の部屋に来てインターネットでアダルト動画と
近親のエロ小説を読んでからは、チンポがずっと勃起の状態で収まらなかったのです。
夜になるとお母さんは先に寝部屋に入り、私はオナニーでもするかと思いましたが、今日はお母さんとしてみよう、と決めました。
お母さんは私が何をやっても悪気にしないという確信がありました。そして、お母さんも今では精神的なショックからも少し沈んで、人の体が恋しいごろだと考えました。親孝行するこつもりでお母さんのおまんこにはめてみようと決心をしました。
実際には、あまり深く考えてなかったです。
他の人たちであれば下手をすれば刑務所いく心配をしたり、一生、お母さんの顔を見られないこともあるとの心配をする方もいると思いますが、私はあまりそのような心配はしませんでした。
私がはめたいと望むならお母さんがやってくれるだろうとなんとなく確信があったし、
ちょうどその時、たまに会っていた26歳のセプレの子とセックスする程度で考えていました。
お母さんは部屋で寝ていて、私はお母さんの後ろにパンツ一枚でベッドに入りました。
そのごろお母さんはいつもパンツ一枚で寝ていました。 9月のなだ暑い時期であり、私は頻繁に胸を触っていたたからです。
「おかん、寝る?」
聞きながら私は母を後ろからそっと抱きました。
お母さんは答えがないです。
私はお母さんの胸をいじり始めました。ぽっちゃりした体つきに胸もでかく、どこにもいるようなおばさんです。お母さんの背中にキスをし、お母さんのお腹をなでました。お腹の肉がずっしりと握られます。
そうしばらくお母さんの体を撫でているとお母さんが目を覚ましたようです。
「寝てなかったかい?」
お母さんが眠い声で聞くと
「ちょっとだけ」
と答え、お母さんの背中やお腹なでました。
私は少し緊張した状態で、私に背を向け横になっているお母さんの右手を捕らえ、私のお腹の上におきました。
「あんたもそろそろダイエットせんとな」
お母さんは手を後ろにして私の腹を撫でて言いました。
久しぶりに韓国に来て一ヶ月以上お母さんの手料理のご飯を食べていたら肉がかなり付いたようです。
お母さんは手を後ろに伸ばして私の腹を撫でたが、私はお母さんの肩を引っ張り、私に向けました。
私がお母さんより頭一つ大きくて、お母さんは私の顔を見ないで私の胸元に顔を埋めたまま、私の腹を引き続き撫でました。
私は母の手首をつかんで、そっと私のチンポの上に置きました。
お母さんはしばらくは動かないでいましたが、やがて私のチンポを握ってくれました。
「息子、そろそろ結婚させないとね。女はいないの?」
お母さんは私の顔を見ないまま布団の中で自分のチンポをしばらく握っていましたが、ああん~~という声を出しながら向こうを振り向きになりました。すこし恥ずかしいようです。
私は母の上を乗って反対側に行き、お母さんが横になった方向にお母さんに直面して横になりました。お母さんは顔を持ち上げていません。
私は早速パンツを脱いで裸になりました。お母さんの前にギンギンと勃起したチンポをだしました。
なぜかは分かりませんが、本当に平気な感じでした。あまり緊張もいないんです。セックスフレンドの女の子といつもしている事をするような気持ちだったでしょうか。
年を取ってそうなのか、他の近親小説とかでよく見られる猛烈な緊張感…。そんなことはあまりなく、代わりに私がお母さんに親孝行一度しなくちゃ。お母さんがOKなら一度めちゃくちゃにはめてあげたい。と、このような考えでした。
母の前で生チンポを出して、布団をの中のお母さんの顔をみました。
お母さんは目を閉じていました。しれません。布団の中で私のチンポを見て目を閉じてしまったかも。
「ねぇ、おかん…ババァになる前に…ね?」
私は子供のように、お母さんの手を私のチンポに引っ張りました。
お母さんは私のチンポを握ってはそのまま動かずにいました。
私は両手で母の胸を触ったり、お母さんの背中を撫でてあげたりしました。
そうするうちにチンポを母親のお腹に密着させ、そろそろ腰を動かしました。チンポからの透明な水をお母さんのお腹に塗りました。お母さんは手をどこに置いておくか迷っている様子で、私のするままにじっとしていました。
最初から積極的に呼応してくれるのを期待しなかったし、むしろ拒否しないだけ良かったと思いました。
しばらくお母さんのお腹にチンポ水を塗るが、お母さんは恥づかしいを我慢できずまた後ろ向きになって横になりました。
私はお母さんの背中抱いて、お母さんのパンツのお尻側に自分のチンポをごりごりしました。
お母さんは手を後ろに伸ばし、私のお尻を撫でてくれました。
はめてもいい、と考えると、私は心が急ました。
しばらくの間そのようにチンポをごりごりして、少し体を離してお母さんのパンツを引っ張り脱がしました。お母さんは私の手のお尻に当たってパンツを下ろすと「はっつ!」と息を急にとめました。
でも逃すのを止めたりはしませんでした。
パンツを脱がすと、お母さんのおまんこから熱い匂いが上がってくる感じでした。
“おかん、俺を結婚させてくれるよね?」
私がお母さんの後ろから耳もとにささやきました。
お母さんは恥ずかしいのか言葉はなかったが、少しは積極的になって手を後ろに伸ばして私のチンポを握っては何回かしごいでくれました。
お母さんの裸を後ろから抱き、力を込めて抱きしめてくれました。
母の息が荒くなりました。
私はチンポをお母さんにおまんこに当てました。お母さんが腰を丸くして体を丸めていたので、よく入らない感じでした。
私は片方の手で母親の太ももを抱え上げて足を開き、片方の手でお母さんの腰を押しました。
お母さんは私の行動を理解して、お尻だけ後ろに突き出した形で姿勢を捉えました。
チンポがずっと突き易い形で母親が姿勢を取ってくれとので、私はあまり抵抗なくチンポ先をお母さんのおまんこに口付けることができました。
数年して望んだことがやっと叶ったのです。
私のチンポはスムーズにお母さんのおまんこにはまりました。
あまりの気持ちの良さです。
熱く湿った火照っているおまんこ…しかも、母親のおまんこです。
若い女の子のようなぎゅうぎゅう締め味はないが、これでも爆発しそうです
なにせ、お母さんのおまんこだからです。
お母さんのおまんこにずらりとはめると、お母さんは自分も知らずに喘ぎ声をあげました。
私がお母さんの腰に手を移すとお母さんは片手で自分の足を上げ支えて、私が容易くはめるように広げてくれました。
このような身振り一つ一つ、どれほどいやらしいものか…。
お母さんのおもんこしるでヌルヌルになったチンポが臭いを漂ってお母さんのおまんこにはめられます。
両手でお母さんの腰をつかむお母さんのおまんこに根元まで深く突きこんでは、最後まで取り出してから、またまた深くはめるのを何度も繰り返しているうちに、すぐに信号が来ました。
お母さんは上半身に布団を囲んで、下半身のみ私に預けていました。その下半身があまりにもいやらしかったです。真っ黒なお母さんのおまんこに自分のチンポが出入りして…
私は後ろに横になった姿勢ではめていましたが、姿勢を変えて、お母さんのお尻を持ち上げて抱いたままひざでたちました。バックの姿勢になると母は布団を上半身にかぶって、腰を下げ、お尻だけを突き出して、私が簡単にチンポをはめるように姿勢をしてくれました。
私は急ぎませんでした。ゆっくり深く突いてゆっくり抜いて…
入り口にそっとそっと突いたらさらに深くはめ込んで。
お母さんのおまんこの豆をいじったり、手を伸ばしてちちを揉んだりしました。
お母さんは喘ぎ声を我慢するに必死でした。
私はその状態で腰を気が狂ったかのように激しく突きこみ、もう我慢できず、母親のおまんこの中に何回も射精しました。お母さんの生理が終わったと聞いたことがあって、妊娠の心配はなかったです。
そう何度もドピュドピュ出した後、チンポが小さくなりお母さんのおまんこからチンポを抜きました。
精液が少し流れれて、お母さんのおまんこにその精液を広く揉みました。
私は布団の中に入りこんで再び母の体を強く抱きしめてあげました。お母さんはまだ息が荒かったです。
今回はお母さんも体を私に向いて抱きしめ合ってくれました。
しばらくそのように二人ゼーゼー息をしているが、お母さんはティッシュでおまんこと私のチンコを拭いてはトイレに行きました。
私はすっきり出したので、すぐに眠気があふれました。
お母さんがシャワーして入ってくると、裸の母親と抱き合い眠りに落ちてしました。
その日の明け方、もう一回お母さんとはめました。
今回は正常位でした。
お母さんの体にのぼり、私の腕の上にお母さん太ももをまたぐ上げ、おまんこを広げ、何十回もドスドスと突きこみました。
お母さんは、相変わらず布団の外に顔を出していません。
「おかんん、我慢しないで声出してみ」
と言いましたが、お母さんはずっと喘ぎ声を参考いました。
お母さんの両足を私の肩にかけて激しく突きこんでいたら、またすぐに来てしまいました。
もうちょっと長くはめたかったのですが、母親が私がはめるに合わせて、おまんこをしこしこと持ちあげ、両手で私のお尻を抱えてより深くはめられたがるようしました。
その姿を見ていると、きゅんと興奮が来て、思わず深く発射してしまいました。
我々は愛液をティッシュで拭き、すぐに再び眠りに落ちました。
翌日の朝、私はどうしても少し後ろめたい気持ちになって、朝早めにさっさとネットカフェへ避けました。
ランチぐらいになるとお母さんから食事の連絡が来て、家に戻ってご飯を食べて、日差しも眩しく天気も暑い間、母親のおまんこに三度目の精液を注ぐようになりました。
これがお母さんとの初日の物語でした。日本語がでたらめで申し訳ありません。