忘れられない母の想い出 | H体験談~エロばなまとめ

   

忘れられない母の想い出

グーグルで偶然このサイトを知りました。
母子相姦体験者の告白があるなんて、初めて知りました。
皆さんの投稿を読ませてもらっていると、キューンっと胸が締め付けられるような切ない気持ちになりました。
私は39歳、妻と子供二人の平凡な公務員です。
母は15年前に病気で亡くなりました。
実は、私も18の頃から、母と関係を持つようになっていました。
母が今も生きていれば、その関係は続いていたと思います。

私に物心がついたときには、もう父はいませんでした。
母は学校の教師をしながら、女手一つで私を大学まで出してくれました。
母は普段はやさしい人でしたが、しつけには厳しく、教育にも熱心な人でした。
そんな母親と実の息子がセックスをするようになったなんて、誰も信じないと思うし、一生涯、誰にも打ち明けることなく、墓場まで持っていくつもりでした。
でも、匿名なら、あのときの出来事を誰かに知っておいてもらいたいという思いが沸き起こってきて、今日、私もここに投稿することにしました。

当時、母の年齢は45歳。
グレーのタイトスカートに真っ白のブラウスが良く似合う、今思えばどことなく黒木瞳に似た感じの人でした。
きっかけは夏休みの合宿で、しばらく私が家を空けたとき、母が部屋の掃除をして、私が隠していた“見られたくないもの”を母が発見してしまったことからでした。

私の家の裏には、三味線のお師匠さんをしている、50に近い後家さんが住んでいて、月に二、三回、金持ちそうな初老の紳士が尋ねてきて、昼間から居間や廊下でセックスをするのが私の部屋から見えたのです。
私の家の北側には窓が無く、壁しかないので、裏に住んでいる後家さんは、私が見ていることなど、疑うわけもありませんから、それはとても大胆なものでした。
実は、私の部屋のエアコンの冷媒管の貫通穴から雨漏りがしていたので、それを直すためにパテを剥がして穴を覗いているとき、偶然に、後家さんと初老の紳士のセックスが見えたのです。
真っ昼間です。

当時はデジカメが無かったので、さっそくビデオカメラを出して盗撮しました。
その後、何度も盗撮を繰り返し、気に入ったシーンは静止画像にして、何枚もプリントして隠し持っていました。
合宿から家に帰ったとき、母が無表情でなぜか顔が青白く見えたので、なにかあったのかなと思いながら部屋に入ると、きれいに片付いていて、とっさに隠し物が気になってベッドの下を剥がしてみると、あるべきものが無くなっていました。

「しまった、見つかってしまった」

私が呟いて動揺している姿を、母がドアの外からジッと立って見ていました。
私はドキッっとして耳まで赤くなりました。

「一流の公務員になって、お母さんに楽をさせたいって・・・、少しお話しが違うようね・・・」と言って、母が部屋に入ってきました。

私は恥かしさと、情けなさと、これで母に嫌われたという思いとが一緒になって、つい大声でわめき散らしました。

「なんで勝手な真似をするんだよっ!」

母がカッと私を睨みつけたと思ったら、いきなり大きなビンタが飛んできました。

「こんな子じゃなかったのに・・・どうして・・・」と母が呟くように言って、泣き出しました。

しばらくして、「もうお願いだから・・・他人様のことを覗いたり、カメラに撮ったりみたいな事はやめてね・・・」と母が言いました。

私は、照れ臭さもあって、わざと反抗的な言葉で、「年頃の男はみんな興味があっても不思議じゃないだろう!そういう考えの親だから子供が犯罪に走るんだろうがっ!」と言うと、また母と言葉の応酬になり・・・。

「あなたは犯罪に走ったりしてはいけないの・・・、かけがえのない私の息子なんだから・・・母さんはあなたのために何だってしてきてじゃないの」

「じゃあ性欲の処理もやってくれるっていうのっ」と切り返すと、
「二度と他人様に変な真似はしないって約束できるなら・・・、そういう気持ちになったら母さんも考えてあげるわ・・・」と言い残してドアを閉めて部屋を出ていきました。



私は耳を疑うほど驚きました。

“そういう気持ちになったら・・・”って、“やりたくなったら・・・”ってことだと思うと、それを想像しただけで勃起してしまいました。

その後、夕食のとき、私は母に謝りました。

「もう、二度と、盗撮したり、犯罪めいたことをして、母さんに心配をかけたりはしないよ」
「そう・・・。分かってくれたら、もういいわ・・・」

「だから・・・今夜は母さんと寝てもいい?」

母は私の目を見ないで、横を向いたまま「あとで部屋に来なさい・・・」と言って、台所の片付けに行きました。

私が11時頃、パジャマに着替え、枕を持って母の寝室に行くと、豆電球だけの薄暗い明かりが点いていて、布団の中で母が背中を向けて横になっていました。
私は母の布団の中に滑り込むと、母の背中から手を回して乳房の辺りを触りました。
母は黙ってじっとしていました。
母のうなじからいい匂いがして、たちまち勃起してきました。
パジャマのボタンを外して手を入れても、乳房を覆うブラジャーが堅くて邪魔だったので、母のパジャマの背中を捲り上げて、ブラのホックを外すし、乳首を出して揉みました。
しばらく揉んだ後、母のパジャマとパンティを脱がそうとしたら、母が私の手を押さえて「ね・・・手で出してあげる・・・」と言いました。

「ブリーフを脱いで」と言う母に従って、ペニスを出し、母を上半身だけ裸にして、私が母の乳房を吸いながら母の手でしごいてもらいました。

母の手は柔らかく暖かかで、しごき始めから約二分くらいで、いきなり射精したくなってきて、一回目は勢いよくドクドクとでた精子は母の手で受け止めてもらいました。

「もう、これで、すっきりしたでしょう?」と言って、母はティッシュでペニスを拭いてくれました。

だけど、若いせいか、そんなものじゃ収まらず、どうしても本番がしたいと思い、油断している母のパンティをいきなり脱がそうとしたら・・・。

「もう、すっきり出したでしょう!これ以上はダメよ!」と猛烈に抵抗してきました。

私がさんざん抵抗する母の上に跨って押さえ込むようにして、全部脱がしてしまうと、観念したかのように抵抗が収まりました。
まじまじと母の全裸はを眺めているとペニスは興奮してカチンカチンに勃起していました。
ゴワゴワとした黒くて硬い陰毛を撫でると、ぺチャッとした粘液が指に絡みつき、相当母も興奮していることを知りました。
やりたい放題におっぱいを吸ったり、あそこを触ったり、指を入れて、ぐちゅぐちゅしたりしました。

そして、いよいよ私のペニスを母の膣穴に入れようとした時、急に母が腰をちょっと横にずらして、真剣な顔で、「絶対に一生、誰にも内緒にするって約束しなきゃいや!」と言いました。

私が頷いて「わかってるよ」と言うと、母が私のペニスに手を添えて膣穴の入り口まで誘導してくれました。

ズイーっと奥まで挿入してみると、初めて味わう気持ちよさで、数十回ほどピストンしただけで、たちまち射精感がこみ上げてきて突然母の膣穴に射精してしまいました。
中出しされた母はビックリしていましたが、また優しく私のペニスをティッシュで拭いてくれました。
そのあと、母は膣を洗いに行って、戻ってくると「もう中に出しちゃだめよ」と言い、抱き合って寝ました。

次の日からは、コンドームを買ってきて毎日、母とセックスをするようになりました。
母はどんどん若返って綺麗になっていきましたが、私が24歳のとき、母は病気で亡くなりました。

その後、私は今の妻と見合い結婚をしましたが、今でもすすり泣くような母のヨガリ声や、濡れたあそこの締め付け具合は忘れることはありません。
妻とセックスするとき、目を閉じて、母を抱いているように想像しながらピストンするとあの頃の興奮が蘇ってきて、射精の快感が倍増するのです。

忘れられない母の想い出です。

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