私が愛したギターの先生 | H体験談~エロばなまとめ

   

私が愛したギターの先生

あれは今から23年も前の事です。
京都府の阪急沿線の某駅近くにギター教室がありました。
その先生との、2度だけの愛の記録です。

彼には別居中の奥様と7歳になる娘さんがいました。
そうです、先生と私は許されぬ関係だったのです。
ギターを習っていた私にとって、彼は私の全てでした。
彼も私に好意を寄せてくれていました。

2人で食事をしたり、コンサートに出掛けたりと、楽しい日々は駆け足のように過ぎていきました。
彼は私より13歳も年上でしたが、私にとっては初めからたった一人の男性でした。
あれほど燃え尽きた恋は、もうニ度とないでしょう。

彼の6月の誕生日には、40本の赤いバラを抱いて教室を訪れました。
恋に恋をしていたのかも知れません。
いや私もそのとき、すでに27歳でしたから、愛に恋をしていたのでしょう。
あんな愛は一生に一度で十分です。
そう、たぶん私は燃え尽きてしまったのでしょう。
彼と肉体的に結ばれる前ですら、そんな状態だったのです。

ある日、2人で梅田に出掛け、少しお酒を飲みました。
夜の8時頃でした。
陸橋の上で彼は私に迫りました。

「僕は、今、とてもあなたが欲しい」と。

私は戸惑いました。
でも内心とても嬉しかったのです。
それでも彼の思いを拒否しました。
別居中とはいえ、彼には奥様がいました。
私のために奥さまと別れてくださったとしても、私の両親を説得する自信はありませんでした。

第一、彼の心の中が読めなかったのです。
嘘でもいいから、『妻と別れて、君と一緒になるよ』と言って欲しかった。
きっと彼には複雑な思いがあったのでしょう。
奥様と娘さんに対する思い、そして私への思い。

私の父は病院の院長をしていて、厳格な家庭でした。
彼に才能があったとしても、どの組織にも属さない天才型の人間に、私はついていけるでしょうか。
私はずいぶん悩みました。
そして行きついた結論は、“自分に正直になれ”でした。
私は気に入っていた長い髪を切り、そして彼に抱かれることを望みました。

秋にギターコンサートが大阪であり、私はチケットを2人分買いました。
その日、偶然にも、私の両親は親戚の結婚式で、泊りがけで出掛けています。
きっと運命が私たちに与えてくれた、ひと時だったのでしょう。
コンサートが終って、先生と私は夜遅くまでお酒を飲みました。

小さなクラブのボックス席で、私たちは熱いキスを交わしました。
もう夜の2時をまわっていました。
呼んだタクシーを私の家の前で止めた私は、彼の手をとりました。
そして呟きました。

「先生、泊めてあげますから」

私は彼を私の家に入れました。
それは私が命を賭けた一瞬でした。
そのときの私には何も見えず、何も聞こえず、ただ先生だけが私の中に存在していました。
2階の私の部屋に入ると、私はそっと呟きました。

「先生、私はずっとこの部屋で暮らすのですよ」

男の方に、こんな女の気持ちなんて分かってもらわなくていいんです。
ただ女にとって、愛は命なのです。

先生はそっと私を抱いてくださいました。
私は燃える思いを持って先生に口付けしました。
ベッドのそばにあった椅子に腰掛けた私のスカートの中に、先生の指が入ってきました。

私は前の日に、先生に触られるかも知れないと思い、多くて長い陰毛を短く2センチぐらいにカットしていました。
ショーツの間から、私の花弁に彼の指が。
もう陰部はグッショリ濡れています。

その瞬間、先生と生徒の垣根は取り払われました。
大人の男と女になりました。
私は触って欲しかったのです。
でも愛液を溢れさせている自分がとても恥ずかしく、あそこ特有の淫靡な匂いもしています。

「ダメェ、先生、シャワーを浴びてから」と言って彼から逃れました。

先生は指を抜くとき、中指を私の割れ目に、そっと差込み、指を上部に移動して、勃起している愛の真珠を擦りました。
ぬるっとした感覚、そしてビクッとした快感に私は思わず、「ああっ」と嗚咽を漏らしました。

その日の私は、出掛ける前にシャワーを浴び、ソープで丁寧にあそこを洗っていました。
それでも半日経ったそのときには、自分でも分かるほど愛液で濡れていました。
きっと匂いもしていたと思います。
先生に恥ずかしい部分を触られて、気が遠くなりました。

私はもう27歳の女です。
先生には申し訳なかったけれど処女ではありませんでした。
2年前に1度だけ、経験がありました。
相手は恋人だった人で、その人とは結婚するつもりだったのです。
でも、まるでメロドラマのように、その人は交通事故で亡くなりました。
失意の日々を送っていた私の前に現れたのは、ギターの先生でした。
奥様もお嬢様もおられました。
ずいぶん悩み、そして、選んだ道は不倫の愛でした。



その夜の愛の営みは、私から積極的に求めたものでした。
私は彼の手を引き、1階のバスルームに案内しました。
彼がシャワーを浴び、出てきたのと交代に私はバスルームに入りました。
彼は体を拭き、2階に上がったものと思っていました。
でも私がシャワーを浴びていると、彼がもう1度入ってきました。
生まれたままの姿で彼に抱かれ、私はバスルームの床に崩れ落ちました。
陰部を優しく愛撫され、私は喜びと恥ずかしさの中で、彼の唇を狂ったように吸い続けました。
どれほどの時が過ぎたのでしょうか、彼は私を立たせ、バスタオルで体を丁寧に拭いてくれました。

2人転がり込むように、2階の私の寝室に入りました。
父母と私は医院の2階に住んでいて、同じ敷地内の別棟に父の経営する薬局がありました。
私は彼に断って薬局に行きました。
帰ってくると、彼は疲れていたのか眠っていました。
しばらく彼の寝顔を眺めていましたが、意を決して彼を揺り起こしました。

「先生、ごめんなさい。今日、私、危ない日なんです。それで、これを」

彼は理解してくれました。

「わかったよ。出すときには、ちゃんと付けるから」

私は黙って頷きました。
本当はコンドームなんて使用したくなかったのです。
直に先生を感じたかった。
でも射精の時だけのコンドーム。
ナマで彼を受け入れて、恥ずかしい部分同士の結合・・・。
私は期待で体が火照りました。
皮膚よりも柔らかく敏感な、粘膜同士の溶けあい。
私は彼に全てを預けました。
彼は私の乳房を吸いました。
両方の乳房の真ん中にあるホクロが、彼の行為を見つめています。

彼のモノが私の中に入ってきました。
その瞬間、私はシーツを握り締めました。
私はその瞬間のために今まで生きてきたような幸せを感じました。
恥ずかしい部分の快感が全身に広がり、私は喘ぎました。
彼のモノを女の一番大事な部分で感じながら、彼に囁きました。

「愛してる?」

彼は静かに答えました。

「ああ、愛してるよ」

「嬉しい」

私はそう言って、彼に身を預けました。
そのまま死んでしまってもいい。
私の正直な気持ちでした。

一発の銃声が雪山に轟きました。
2人を情欲の雪崩が襲いました。
不倫の罪も、切ないほどの悲しみも、もはや私の中から消えました。
刹那的な喜びの中、私は彼の全てを、私の一番大事な部分で感じました。
彼のリードのまま、彼のモノを入れたまま、私は体を入れ替え、彼の上に跨りました。
レディースコミックで見た恥ずかしい体位のように、私は腰を振っていたのです。
もういいのです。
このまま中に出しても。

(先生、中に精液を出して!赤ちゃんが欲しい!先生の赤ちゃんが)

でも先生は、私の中から抜くとコンドームを装着して、私の上に乗り、思い切り、腰を振り続けました。

「ああっ、出る。聖子、愛しているよ」

2人はぐったりと、そのままの姿勢で抱き合いました。

どれほどの時間が経ったのでしょうか。
先生は私に優しく口付けをすると、また愛の営みを始めました。
生まれて初めて、彼のモノを口に含みました。
彼に言われるまま、まるでアイスキャンディをしゃぶるように吸い続けました。
彼は私の一番恥ずかしい部分を舐めています。
女が上になった、シックスナインと言うのでしょう。
私は彼の顔を跨ぎ、彼の口が時々花弁のそばにあるお尻の穴を舐め上げます。

彼のモノが大きくなったとき、私は体を入れ替えて、自分から彼の物を掴んで腰を落としました。
彼に私たちの結合部分が見えるように体を反らしました。
先生が疲れないように、けれど彼の精液が空になって、奥様としばらく出来ないように、腰を振り続けました。
そして燃え尽きたのです。

別れを決意したのは、それから2ヶ月後でした。
初めての夜から1ヶ月後に、もう一度私たちは愛し合いました。
そのときに、これ以上続けたら、もう後には戻れないと悟りました。
思いを遂げたときに、女が選んだ道は、別離でした。
死ぬほど愛した男性に抱かれた女には、もう思い残すことなどなかったのです。
9月に初めて抱かれ、10月にもう1度愛し合い、そして11月にお別れの手紙を出しました。

『早いもので、先生の教室の門を叩いて、もう1年が過ぎました。その間、私は先生から色んなものを教わりました。弾いてくださるギターの響きも、私の心を捉え、数々の思い出も、一つ一つが私にとって、かけがえのない物で、本当に有難うございました。言い出せなくて、ずいぶん悩みました。先生のお顔を見れば、決心がぐらつき、今日のこの日を迎えてしまいました。年が明ければ結婚いたします。平凡な人と、平凡な結婚をして、主人の帰りが遅くなれば、愚痴のひとつも言うような、平凡な女になりとうございます。愚かな女とお笑いください。初めて会った時から、こうしてお別れの手紙を書いている、この時まで、先生は私にとって、たった一人の男性でした。先生との大切な思い出を持って、嫁いでゆきます。いままで、有難うございました。聖子』

逢えなくなって23年。
けれど、一度として先生のことを忘れたことはありませんでした。

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