嫁は中学の2・3年の同級生で、
部活も同じバレー部だったから親しかった。
つっても冗談を言い合う友達で、
好きとか付き合うとかはなかった。
顔もタヌキっぽくて好みじゃなかったし。
高校が別になり、
大学から俺は東京に行ったんで、卒業したきり十何年か会わなかった。
俺の実家は地元の九州で食品販売系の会社をやっていて、
大学を出た俺は、ゆくゆく実家を継ぐための修行として、
半強制的に実家の取引先の会社(東京)に就職した。
30過ぎたころ、新しく来た上司とどうしてもそりが合わなくて、軽いうつ病になった。
会社には言わずに通院していたが、
薬でぼーっとしていたせいで通勤途上で車にはねられて両脚を骨折。
それが元でうつ病の件が会社バレし、
おまけにクズ野郎の上司があることないこと会社に吹き込んだせいで遠まわしに退職を勧められ、半分やけくそで労災込みの退職金を貰って退職した。
実家の両親は顛末を聞いて大激怒。
俺は移動できるようになるとすぐ地元の実家近くの病院に転院させられ、そこで治療とリハビリを受けることになった。
俺は二歳年上の姉がいるんだが、姉の旦那が俺が知らないうちに実家の会社を継ぐことになっていて、まあ俺の両親からすると、実の息子の俺は会社を辞めちゃうような半端者、ということだったんだな。
私大なのに留年もしたし。
両親とも考え方の古い人たちだから仕方がない、と特に腹も立たなかった。
入院した病院で担当の看護師さんに挨拶されて、あれどっかで見た顔だと思い名札を見たら嫁で、二人ともビックリ。
特徴あるタヌキ顔は大人になっても変わらず、よく言えば女優の田畑智子、悪く言えばガチャピンぽかった。
嫁は高校卒業後に看護学校に進んで看護師になり、バツイチだった。
なにしろ身動きがとれないので仕方がないんだが、知っている人に体を拭いてもらったり下の世話をしてもらったりするのは恥ずかしかったな。
嫁は仕事だから全然平気だつってたけど。
嫁は忙しかったけど、勤務明けに顔を出してくれて、病室や談話スペースでよく話をした。
共通の知り合いの近況や、高校から先お互い何をしていたか。
嫁が成人してすぐに両親を亡くしていたことも聞いた。
俺は自分の病気についても話をした。
嫁は自分の結婚については
「まあいろいろあってうまくいかんやった」
としか言わなかった。
実家の会社で働いていた姉とその旦那は、仕事の合間を見ては見舞いに来てくれた。
義兄はいい人で、何も心配いらないから治療に専念しろ、と励ましてくれたけど、両親からはほぼ放置されていた。
やがて骨がくっつきリハビリ(笑っちゃうくらいしんどい)スタート。
毎日のリハビリの辛さ、自分の体が思い通りに動かない焦りと情けなさ、元通り歩けるようになるのか、30すぎて無職でこれからどうするのかという不安で、嫁にはよく愚痴を聞いてもらった。
話しながら泣いてしまったこともあった。
嫁は俺が泣き言を並べるたび
「でも○○くんが自分でなんとかするしかなかとよ」
と言ってくれた。
安請け合いの
「大丈夫」
ではないのが逆にありがたかった。
まあこの頃には嫁に惚れてしまっていたな。
入院から約半年後に退院。
幸い俺はほとんど元通りに歩けるようになり、毎日リハビリがてら散歩したりしながら次の仕事を探していた。
両親とは変わらず断絶状態で、俺は自分でアパートを借りた。
嫁とは週1〜2回、食事や飲みに行くようになった。
勤務シフトがよく変わる看護師と無職なんで、早朝の牛丼デートもあったな。
幸い、なんとか次の仕事が見つかり、その報告がてら嫁を食事に誘ったときに、結婚を前提につきあって欲しいと話した。
嫁はしばらく悩んで
「ごめんなさい」
と言った。
俺が理由を聞くと、嫁は、自分は子どもができない体なんだと打ち明けてくれた。
病気ではなく先天的に子どもができにくいのだと。
前の結婚がうまくいかなかったのも、それが理由だった。
嫁は今も話したがらないが、相当辛い目にあったらしかった。
俺はそんなの構わない、すぐ結婚とかは言わないから、俺とつきあってくれと頼んだ。
嫁はOKしてくれた。
新しい勤め先は幸い、小さいながらも家庭的な雰囲気のいい会社で、俺は仕事に打ち込んだ。
同時に嫁とのつきあいも進み、俺は両親に、今、中学の同級生だった□□(嫁)とつきあいをしている、一度会ってほしいと連絡して、引き合わせることにした。
冷たい親でも親は親だし、ちゃんと仕事もしている息子の俺がこの女と付き合っていると言えば悪い顔はしないと思ったから。
考えが甘かったけど。
久しぶりの実家で俺と嫁を待っていたのは両親の猛烈な反対だった。
地元の情報網のグロテスクさというか、両親は嫁がバツイチだということも、なぜ離婚したかも知っていた。
俺に対するいつもの非難(要約すると
「情けない半端者」
)だけならともかく、嫁のことまで子供を作れない□□さんを○○の家の嫁として認めるわけにはいかない、と言われ、俺は切れた。
両親を本気で殺してやると思ったのはあの時だけだったな。
俺は目の前のテーブルをひっくり返し、あんたらとは縁を切る!と言い放って嫁を連れて実家を出た。
帰りの車で、嫁はずっと泣きながらごめんなさいごめんなさいと言っていた。
俺は両親に腹が立つのと、嫁にあんなことを言われて申し訳なくて仕方がなく、車を停めて、俺の方こそ辛い目に合わせてすまなかったと泣きながら謝った。
しばらく二人で泣いたあと、俺にはもうおまえしかいないから俺と一緒に暮らしてくれ、と頼んだ。
嫁は頷いてくれた。
それから新しいマンションを探し、二人で住み始めた。
両親とは全く没交渉だったが、事情を知っていた姉と義兄(両親と会った日に、実家座敷のテーブルと障子が全滅していたので)はずっと連絡をくれて、たまに4人で食事をしたりしていた。
姉と嫁は今もそうだが仲がよく、義兄も人としても男としても信頼できるいい人だ。
ただ実家では、俺のことは口にも出せない雰囲気らしかった。
結婚式は無理でも入籍はしよう、と嫁に話したが、嫁は俺の両親への気兼ねと、前の結婚のこともあって、一緒に暮らしていればそれでいい、今は入籍はしたくない、と拒んだ。
同居初めて2年半ほど経った頃、嫁が体調を崩して、自分の勤める病院で診察を受けた。
会社帰り、嫁から連絡があって俺もその病院で診察結果を聞くことになった。
風邪か疲れだろうと思っていたのに…と心配していると、嫁がいたのはなぜか産婦人科で、産婦人科の医者は満面の笑みで
「おめでたですね。
三ヶ月目に入ったところです」
と。
俺ポカーン。
嫁は眼をうるうるさせて俺の手を握ってきた。
高齢出産になのと体のこともあって、妊娠中、嫁はしょっちゅう病院通い。
俺も食事の用意や家事などできるだけのことはしたつもりだが、まあやっぱり女の大変さにはかなわんな。
姉には嫁が妊娠したことを報告した。
姉は電話の向こうで、よかったねよかったねと泣いてくれた。
子どもが無事産まれてくれるか心配だったけど、去年の秋に、嫁は健康な女の子を産んでくれた。
母子ともに健康。
嫁の同僚の看護婦さんたちもお祝いに来てくれた。
娘は嫁に似てややタヌキ気味だが、あれだな、世の中にこんなかわいい生き物がいるかと思うぐらい可愛いな。
悪いけどうちの娘が世界一かわいい。
姉夫婦は大喜びし、嫁が娘と退院してきたときには、甥っ子たちを連れて迎えに来てくれた。
ただ、俺はまだ両親が嫁に言ったことしたことを覚えてたから、あの人たちには会わせたくない、両親には知らせるなと口止めした。
そしたら義兄に外に連れ出されて、えり首つかまれた。
おまえの気持ちはわかる、俺でも腹を立てたと思う。
でも親は親なんだからもう許してやれ、孫の顔見せてやれって。
大人しい人だと思ってたのに、えらい腕力強くて意外だったな。
嫁もやはりお義父さんお義母さんにお孫さんを見せてあげたいと言うので、義兄が仲立ちをしてくれて、この正月、俺は嫁と子供を連れて実家に行った。
義兄の言うこともわかるが、俺はまだ両親を許す気にはなれず、もしあいつらがまた嫁を傷つけるような事を言いやがったらただではおかない、と半戦闘モードだった。
実家のあの座敷に通され、姉夫婦と一緒に、ちょっと年をとって小さくなった両親と対面した。
俺がお久しぶりです、ちゃんと働いて、この人と暮らして、娘が生まれました、と話したとたん、両親がぼろぼろ泣きはじめた。
あの頑固な親父が畳につくほど頭を下げて、おまえにも嫁子さんにも本当にすまないことをした、許してくれ許してくれと泣いていた。
お袋もハンカチで顔を覆ってわんわん泣いていた。
それでもう許すとか許さないとかどうでもよくなったね。
俺は泣いている両親の肩を抱いて、もういいからと泣いた。
俺はともかく嫁がどう思うかが心配だったけど、両親はその後、嫁が恐縮するほど嫁にも謝ってくれた。
それでまあ両親とは和解できた。
嫁とも話したけど、二人とも昔の人だから、何かきっかけがないと自分たちから息子たちに歩み寄ろうとはなかなかできなかったんだろうな。
両親と義兄からは実家の会社で働かないかとと誘われたが、今の会社が好きだし恩義も愛着もあるんでお断りした。
あと親父もお袋も、孫娘の可愛さにはデレンデレンだった。
さすが俺の娘だぜ。
それから嫁といろいろ話し合って、今週の水曜、会社を半日休んで三人で区役所に行き、正式に籍を入れてきた。
三十路同士、しかも子供連れなんで結婚式だの披露宴だのはしないが、これでちゃんと夫婦というか家族だ。