僕が大学の1年の18歳の時、母を抱きました。
母は、その時45歳。父と離婚して淋しかったせいもあったのでしょう。
僕と母は母**姦の道を歩み始めたのでした。
思春期の僕は実の母に大人の魅力=女を感じていました。母の胸元の谷間や大きなやわらかそうなお尻を想像しながら自慰行為に耽ったりし‥同級生やTVのアイドルではなく、母に性欲を感じる事に自分でも「異常ではないか?」と感じながら行動はエスカレートしました。
母が脱いだパンティーの匂いを嗅いだりオ**コの染みを味わったり。
ペニスをパンティーに包んで精液で汚すのが、堪らなく快感になりました。母の使用済みのシルシを吸い込んだナプキンの、何とも言えない生臭さに射精していました。
僕の白濁色の精液と、母の濃い赤いシルシが混ざるコントラストに興奮の最高潮を得ていました。
母も、僕の行動には薄々、感付いていたようでした‥が、何も言いませんでした。夫婦が離婚したのが原因のように、いつもと同じように僕に接してくれました。
ですからあの時、僕が母の布団に忍び込んだ時、「ソウタ、母さんでイイの?」と聞き「母さんじゃなきゃ‥ダメなんだ!」僕の切実な心の叫びを受け止めてくれました。
母は、女として僕を愛してくれ、僕の身体の下で最高の「女性」を演じてくれました。
「中で、中で‥射精しなさい、」母の回した両腕が苦しいくらいに僕を抱きしめながら、母は、息子の精液を膣の中に吐き出させてくれました。
母は、そんじょそこらのオバサンではありません。保険の外交の仕事をしているせいかも知れませんが小柄で可愛らしい女性で、いつも小綺麗にしています。
僕は彼女も要りません。結婚もしないでしょう。母がいてくれれば、ずっと母を愛します‥身体も、心も。
昨日もソファーで僕にフェラチオをしながら母、千賀は「ソウタも‥好きな娘作っていいのよ」 ‥と母は巧みな舌遣いで僕の肉棒を愛しながら言いました。
僕は、少し母な言葉にムカつき予告もなしで母の口に射精してやりました。
母は、こびりつくドロドロの精液を飲んだ後、僕の肉棒の上に肉の割れ目を被せ、熱い吐息と共に僕の性器に腰を動かしながら酔いしれたのです。
僕にしがみつく母は‥立派な1人の女でした。弾む呼吸の中で「イッテ、イッテ‥あぁっ、」母は絶対と共に僕の‥息子の精液を膣で受け止め、女の身体の満足感を表しました。
僕も母の膣で肉棒をビクンビクンとさせながら射精感を満喫し、母の耳元で囁きました。
「母さん、妊娠してよ」息子が母に言う言葉ではない事くらい解ってますが‥それほど僕は母を愛していました。
「もう少し、待って、‥ソウタの子を妊娠するって‥、」
そう言いながら結合している僕の性器と母の性器のヌルヌルした感触を指で弄びながら、僕の肉棒は母の膣の中で‥硬く勃起していました。