俺、グレてたんだ。
中学はほとんど行かず、公園で遊んでは毎日時間を潰してた。
でも、弱いものいじめや、万引とかシンナーなんかはやらなかった。
ただ、たばこを吸って、大声で仲間と意味のないことを叫んでいた。
そして年上のやつらとよく喧嘩をした。
それだけの毎日だった。
父親がいなくて母子家庭だったから好き放題してた。
父は突然死んだ。
俺が中1の8月に。
自殺だった・・・。
周りの大人は俺達に上辺の同情を見せたが、俺は気づいていた。
「奥さん、不倫してたのよ」
「哀れな家族だ」
「精神病だったんじゃない?」
色々な陰口を叩かれた。
そしてやつらは俺を軽蔑した。
俺はいつも劣等感に駆られていた。
誰とも話さず、独りになっていった。
そして母と俺は誰にも言えない関係に落ちていった・・・。
担任からの電話もなくなって、母は俺を無理に学校に行かせようとしなくなった。
たぶん俺が行かないほうが平和な授業が行なえることを悟ったのだろう。
俺は毎日、フラストレーションをギリギリまで溜め込んで生きていた。
若さの特権、精子を爆発させることだけが俺の楽しみになっていた。
それも、だんだんと過激な方法へと・・・。
俺はオナニーをすると、パンツにわざとベットリぶっかけ、そのまま洗濯機に放り込んだ。
母がなんて言うか、反応が楽しみだった。
しかし、なにも反応がない。
つまらない・・・。
今度は母のパンティーでオナニーをした。
強い興奮を覚え、パンティーにぶっかけ、そのまま脱衣室に置いた。
それでも母の反応がない。
しかし母はブラジャーやパンティーを隠すようになった。
俺はムカついた。
わざと母が入浴している時に脱衣室に行き、その場で脱ぎたてのパンティーに顔をうずめて射精してやった。
浴室で母は知らないフリをしていた。
俺は、もう限界に達してしまっていた。
母は俺を完全に避けていた。
俺は刺激が欲しくて、さらに過激な行動をとった。
母はいつも和室にいた。
そこで洋裁をしていた。
俺は和室に行き、母の目の前でオナニーを始めた。
母は青ざめた。
俺はすぐに絶頂に達した。
そして畳にぶっ放した。
強い快楽を感じた。
母の困った顔が頭に焼きついて離れなかった。
俺はそれだけでしばらくオナニーができた。
しかし、それにも飽きた。
母がよそ行きの化粧をして出かける時、俺は我慢できなくなってしまった。
玄関で靴を履きかけた母にいきなり飛びかかり、押さえ込んだ。
白いブラウス越しに母の乳を感じた。
母は強く抵抗した。
俺は用意していた荷造り用のガムテープで、母の手首を固定した。
母は半狂乱になって暴れ出した。
しかし、それも長く続かなかった。
すぐに体力を使い果たし、弱々しい抵抗へと変わった。
体力で上回る俺は、完全に身動きを取れなくしてみせた。
そして玄関の手摺りにガムテープで母の両手を固定し、片一方ずつ足を押し開き、床にガムテープで貼り付けた。
すでにストッキングは無様に破れていた。
これからどうやって母に快楽を与え、俺自身が果てるか。
それを考えると体が痙攣した。
母は口に貼ったテープが苦しいのか、ウゥッーと唸っている。
エロビデオで観た通り、母の前でわざと玄関の鍵を開けた。
そしてドアを開け、無様な母の姿を晒そうとしたが、あいにく誰もいなかった。
それでも俺は興奮していた。
ドアを閉じ、ブラウスの上から母の乳を愛撫した。
そしてナイフで乳首の周りだけ切り裂き、乳首を愛撫してやった。
母は恐怖と屈辱で号泣しだした。
しかし母が感じ出していることは、俺にはすぐわかった。
小さくスリットの入ったスカートが開け、微かに見えるパンティーに俺は手をかけた。
ガムテープでグルグル巻きに床に貼り付けたので、パンティーが脱がせられない。
ナイフで俺はスカートを切り、下半身をパンティーだけの姿にした。
そして熟した太股に唇を這わせた。
母のそこはすでに湿っていた。
俺は言った。
「今、誰か来たら面白いよなぁ。自分の息子に犯されてる母親の姿に驚くだろうなぁ。おまけに、こんなにヌルヌルに濡らしてるんだから、いい見世物だぜ」
母の乳、そして膣を俺は舌と指で責め続けた。
焦らすだけ焦らし、母に究極の快楽を与え続けた。
2度目に母がイッた時、口のガムテープを取ってやった。
そして聞いてやった。
「欲しいか?入れて欲しいか?」
思った通り、母は頷いた。
「『入れてください』と言え」
「入れてください」
母は言った。
俺はついに母の中に挿入した。
そして最後は母の顔面に勢いよく爆発させた。
ついに俺はこの淫乱女に勝った。
俺を不幸せにさせた、お返しをしてやった。
お前が浮気なんかしなかったら、父親は死なずに済んだんだ。
これからも俺はお前を犯し続けてやる。
そしてお前を俺の奴隷にしてやる・・・。